人生は選択の連続です。
日常の小さなものから、その後の人生に大きく影響を与えるほどの大きなものまで。
「今日は何を食べようかしら。肉?魚?」
「長年勤めた会社だけど、やりたい事があるから辞めたい。。でも不安だ。どうしよう。。」
選択の基準は色々あるでしょう。
しかし、真実を突き詰めていくと、次のような結論になります。
人間は絶対に「苦から逃れ、楽を取る選択」しかできない。
これに例外はありません。100%です。
「うちの旦那は、本当にどうしようもない。でも、かわいそうだから別れないであげてるの」なんて言いながら、結局「別れない」という選択をしている奥様も同じです。
壮絶なパワハラに遭いながらも、「我慢して会社にいる人」という人も。。
「あの時ああしておけば良かった」と今になって後悔していたとしても、実は、あの時はああするしかなったのです。
本記事では、「人がどのようにして最終的な選択をしているか」についてお話していきます。
最近、人気絶頂の芸能人の自殺を報じるニュースをよく目にしますが、この記事を読むことで、何かが見えてくるかもしれません。
本記事の内容
人生の選択に間違いなどない|人は苦を回避し、快楽を選ぶ生き物
人間の二大選択
●苦から逃れるための選択
●快楽を得るための選択
人の選択というものは、基本的にこの二つのいずれかになります。
たとえ、「このままこんな楽をしていてはだめだ!ここであえてイバラの道を選ぶのだ!」と思っていたとしてもです。
これはどういうことでしょうか。まず、わかりやすい例からいきましょう。
例えば、普段からずーっと旦那の悪口を言いまくっている妻がいたとします。
「そんだけ不満なら別れりゃいいのに。」
周りからはそう思われています。
本人としては、「わたしがいなかったらあの人何にもできないから、かわいそうだから仕方なしに別れずにいてあげている」と思っています。
しかし、この妻の深層心理はどういうものかというと、「別れる事と別れない事とを天秤にかけると、別れた方が苦が大きく、別れない方が楽」ということになります。
旦那への不満はあるけれども、働かずに食べさせてもらえる。もし別れたら、まず世間体が気になる上に、今後の人生への経済的な不安がのしかかってくる。
結論としては、嫌いな旦那と一緒にいる方が、別れて一人で生きていくことよりも「楽」なのです。
最近の世の中では離婚を選ぶ夫婦がたくさんいますが、それも苦から逃れ、楽を取った結果でしかありません。
別れた後の大変さよりも、相手と一緒に居続ける事の方が「苦」である、と感じた瞬間に、別れる方を選んでいるだけのことなのです。
昔の方が離婚率は低かったけど、、
では、昔の人たちはどうでしょう?今よりも圧倒的に離婚率が低かったと思います。しかし、これも同じ原理です。
昔は、離婚する人はあまりいませんでしたし、離婚に対するイメージが悪すぎました。世間の風当たりも今とは比較にならないくらい強かったと思います。
ですから、仮にその結婚生活がどんなに苦しかったとしても、離婚した場合の「世間の目にさらされる苦」の方が圧倒的に大きい時代だった、、、それが離婚率が今よりも低かった理由です。
人の心の中では、常に「苦」と「楽」のシーソーが存在しており、その傾き加減で全ての選択を行っているということです。
イバラの道を選ぶ理由
しかし、中には「俺はあえてつらい方を選択したことがあるぞ!」と主張する方もいると思いますが、それも結局、「苦」から逃れ「楽」を選んでいます。
例えば、物凄い売れているバンドに所属しているミュージシャンが、人気絶頂の時に脱退を選ぶ場合。
このような選択をすると、大抵、回りの人間から「なんで??モッタイナイ!」と言われます。なんでわざわざそんなに良い状態を捨ててしまうのか?他人にはさっぱりわかりません。
しかし、それさえも本人にとっては必然的な選択だと言えます。
どんなに人気があったとしても、お金が稼げたとしても、その「バンドに居続けることの苦」が、「バンドを辞めた後の想像上の苦」に勝ってしまっているのです。
言い換えれば、人気バンドを辞めた方が「楽」なのです。
自分を戒めるために、楽で儲かる仕事を捨てて、わざわざ肉体的にきつくて給料の安い仕事を選んだとしても、同じ。
その場合も結局、苦から逃れ、楽を選んでいます。
その人にとって、「楽な仕事を続けてダメ人間になっていく自分を見る」という「苦」が、肉体的にきつい仕事の「苦」に勝っている状態、ということです。
他人から見ると、その人がどんなにおかしな選択をしているように見えても、その瞬間その人の中では間違いなく「苦楽のシーソー」が大きく傾いています。
人間のこのような選択にまず例外はありません。
会社の仕事がつらいけど辞めない人
よく、相談事の代表としてあるのが、「うちの会社のパワハラがひどくて、、辞めようかどうか迷っています」というようなものがあります。
第三者としては
「いやいや、そんなん我慢する必要ないでしょ!?辞めればいいじゃん!仕事なんていくらでもあるんだから!なんでつらいのをわざわざ我慢するのよ?」
という感じです。
しかし、その相談者の人が「会社をまだ辞めない」という選択をしているのは、やはり、会社にいる方が「楽」であり、辞めてしまう事が「苦」だから、ということなのです。
会社内でのイジメの苦しみよりも、会社を辞めてしまった後の想像上の苦しみの方が大きい。
まだ、今ここで歯を食いしばって我慢しながらでも仕事を続けた方が「楽」だと本人は判断しているのです。
本当の意味で辞めた方が楽だと思っているのなら、迷いなどあるはずもない、ということです。
マザーテレサも「苦」を回避し「楽」を選んで人助けをしていた
世の中では、自分のためだけに生きている人に比べ、他人のために生きる人のことを「素晴らしい」と評価しますが、これも真理を突き詰めると、両者とも自分の為にただ生きているだけであり、同じように「苦」から逃れ「楽」を選んでいるだけだったりします。
例えば、恵まれない人のために人生のすべてを賭けたマザーテレサのような人も例外ではありません。
彼女にとっては、「人の不幸を見ること」がとんでもなく苦しいことであり、助けてあげることが「楽」なのです。
つまり、彼女は他人のために生きたように見えて、結局は他の人間と全く変わらず、「ただ自分のために生きた」ということになります。
本気で人というものを突き詰めると、聖人も悪人も同じです。人は自分のためにしか生きられないのです。
「苦」と「楽」の基準は後からでも変わる
人それぞれ、何に「苦」を感じ何に「楽」を感じるかは違います。ただし、それは不変のものではなく、理解や経験を通していくらでも変わっていくものです。
「自分を変える」ということを本気で目指すのであれば、このバランスを変えてしまうのが一番手っ取り早いです。
例えば、普段全く勉強をしないような人であったとしても、「今勉強をしておく事によって、あとでどれだけ楽ができるのか」ということが本当に理解できれば、一瞬で「勉強をする人」に変わることができます。
もちろん、頭だけでそれを理解するのは難しいので、大抵の場合は「手痛い失敗経験」が必要になります。
その痛みを味わうことで、「もう二度とあんな目には遭いたくない」という情報が脳にインプットされ、事前に先手を打って準備できるような人間に変わっていくことができるのです。
まとめ|人それぞれ違う苦楽のシーソー
世の中を見渡すと、「なぜあの人はそんな事をしたんだろう??」と思う事が多々あります。
しかし、物事の判断基準、つまり「何を苦と感じ、何を楽と感じるのか」は人それぞれ全く違います。
超有名芸能人が、人気絶頂の中自殺してしまうような事件が頻繁に起こりますが、どんなに、世間的に見て大成功を収めているように見えたとしても、やはり心の中にはその人なりの独自の苦楽のシーソーがあるのです。
それは、完全にその本人にしかわからない基準です。もしかしたら、本人すらもその基準に自覚がない可能性もあります。
誰でも一度は「あの時なぜそっちを選んだのか自分でもわからない」という経験があったりしますよね?
今回は、人の選択基準、「人は何を基準にものごとを選択しているのか」について考察記事でした。
今後、何かの選択を迫られた時、何かを選んだ時、この話を思い出してみてください。何かしら新しい発見があると思います。
