人生に意味はあるのか?
ある程度物事を深く考える人であれば、誰もが必ず一度は考えることだと思います。
人生とは「苦」である、と言い切る人もいます。
確かに、生まれ持った肉体、才能、環境は人それぞれで、あまりにも不公平だ、と感じることもあるでしょう。
しかし、結論を言えば、どこまでいっても人生は自分次第です。
自分次第で「神ゲー」にもなるし、「クソゲー」にもなります。
今回は人生の意味、そして、人生をどのようにして楽しむか(神ゲーにしていくか)について考えてみたいと思います。
本記事の内容
人生の意味とは?|ただのクソゲーなのか
はたして、人生に意味などあるのでしょうか?
率直に言えば、人生に意味はありません。
そうでなければ、お母さんのおなかの中で亡くなったり、物心つく前に亡くなってしまう子供たちが実際にいることの説明がつかないからです。
彼らは、成長や学び云々の前にこの世を去っていきます。言うならば、我々の生命というものは、様々な自然現象の一つに過ぎないということです。
もちろん、そこに意味をこじつけることはできるでしょう。
しかし、悲しい話ですが、やはり人生には意味は無いと思います。
命とははかないものなのです。
人生の意味は自分で勝手に決めるもの
人生には意味はありませんが、それでは生きがいがありません。人間らしく生きるためにはそこに「意味」が必要です。
そして、その意味を決めるのは自分です。自分で勝手に決めるものです。
自分の人生の意味を決めてしまえば、その瞬間から人生に意味が与えられます。
「人生に意味がある」というのは、結局のところただの自己洗脳なのです。
勝手にそう思っているだけなのです。それでいいのです。
人生の意味は自分の勝手な思い込み。だからこそ、人生の意味が途中で変わることも普通にあるのです。
「人生に決められた意味などない」という事実は、人生の無限の可能性を意味します。
自分次第でどうにでもなる、というのが人生の素晴らしいところなのです。
人生はクソゲーではない|実は公平
よく人は「人生は不公平だ」と言います。しかし、それはただ単に表面を見ているだけです。
例えば、美男美女、お金持ち、天才、、、 もしそういった条件を見て言っているのであれば、それは正しくはありません。
もし正しいのであれば、そういった人たちは「もれなく」幸せになっていなければいけません。
美男美女でも、お金持ちでも、天才でも、不幸な一生を送った人たちはたくさんいます。
いや、むしろ、そういった面で恵まれてしまったが故に、不幸になった人たちもいるくらいです。
生まれながらの条件と幸福度は、一切関係ありません。
「人生は不公平だ」と言っている人は、「自分が不幸なのは自分のせいではない」と言いたいがために、無理矢理こじつけているだけです。
それを認めるところから、本当に充実した幸せな人生が始まります。
2つの人生|クソゲーと神ゲーの違いとは
人生をクソゲーだと感じるのは、そもそもが豊かだからでしょう。
実際のゲームを思い浮かべていただければわかると思いますが、ドラマのないゲームはクソゲーです。
どんなに攻撃されても一切傷つかないゲームで楽しめることはありません。危機感がないゲームはクソつまらないのです。
人の心を捉え、興奮させてくれるゲームというのは、ハラハラさせる何かがあるのです。
だから、それなりに満たされてしまった我々日本人にとって、ただ単に生きているだけではドラマなど一切ありませんから、「人生はクソゲーだ」と感じてしまう人がたくさんいるのも仕方がないことなのです。
クソゲーを神ゲーに変えられるのは自分だけです。
「人生はクソゲー」という発想は責任転嫁でしかありません。
■まとめ ー人生をクソゲーにするのか神ゲーにするのかは自分次第ー
この記事の内容をどう捉えるかは、それこそ自分次第です。
「なにいってんだこいつ」で終わるのもよし、「ほう、、 なるほど、、じゃあちょっと自分の人生に新しい意味でもつけてみるか」とまったく新しい人生を切り開いていくのも良いでしょう。
自責と他責という言葉があります。
人生で起こることは、すべて自分の責任だととらえるのか、それとも誰かのせい、会社のせい、国のせい、と考えて生きていくのか。
少なくとも、いつもいつも自分以外の何かのせいにしている人が、幸せな人生を歩むことはありません。
逆に、「自責」の人生には無限の可能性があります。
今回の記事では「人生に意味は無い」と結論付けましたが、意味のない人生だからこそ素晴らしいのです。
自分次第で、いつでもどこでも誰でも、それこそ「一瞬ですべてを変えることができる」のですから。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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