LIFE マインド

人生はただの自己満足ゲームでしかない|2つの自己満足

《自己満足》という言葉を聞くと、なんだかいけないことのような感じがします。

 

しかし、人間といものは「どうあがいても自己満でしか生きられない」というのが本当のところです。

 

であるならば

「迷いなく自分にとっての本当の自己満足を追求していこう」

というのがこの記事の主旨です。

 

他者に尽くしているようにみえる人も、自分の趣味に没頭している人も、実はみんな自己満です。それをまず理解し、自分に素直になって生きることができれば、人生は驚くほど気軽で面白いものになっていきます。

 

しかし、ちょっとややこしいのが自己満足には二種類あるというところです。

  • 先天的自己満足
  • 後天的自己満足
ヌンヌン
これはわたしの造語ですが、本記事では、本当に幸せに生きるためには「先天的自己満足」を探し出し満たしてあげる必要があるというお話をさせていただきたいと思います。

スポンサーリンク

 

人生はただの自己満足ゲームでしかない

人間というのは、我々が考えるほど大層な存在ではありません。驚くほど愚かで、本能的な生き物です。

 

それは、歴史を振り返ってみればわかります。一体なにが楽しくて人間はいつまでも他者を傷つけ、争いを繰り返し、環境を破壊し続けているのでしょうか?

 

自分たちの都合に合わせて、ここまで地球の姿を変えてしまうその自己中さは、他に類を見ません。

 

しかし、認めましょう。それが人間というものなのです。

 

そして、今回のテーマでもある「自己満」という言葉。一般的に「自己満足は良くない」という意見があるようですが、人間というものは”もれなく”自己満でしか生きられませんので、安心して自己満をめざして生きてきましょう(笑)

 

人は物質的なものではなく「脳内の快楽」を求めて生きている

われわれは、生きていく中で「あれが欲しい、これが欲しい」と考えていますが、突き詰めてしまえば、本当は”それ”が欲しいのではなく、「それを手に入れた時の感覚」が欲しいだけです。

 

例えば、オリンピックで金メダルを取りたい、と考えていたとしても、本当に欲しいのは「金メダル」ではなく、「金メダルを手に入れた時の感動」です。

 

お金を稼いで安定した生活を手に入れたい、と言いますが、本当に欲しいのはお金ではなく「今わたしは安定しているという安心感」です。

 

理想のパートナーが欲しい、と言っても、本当に手に入れたいのは理想の人ではなく「理想のパートナーと一緒に過ごしている時の幸福感」ということです。

 

それを証拠に、本格的に精神が病んでしまった人には、何を与えたとしても喜びを与えることはできません。逆に、最高に心身の状態が良ければ近所を散歩しているだけで幸せを感じることができます。

 

あなたにもし”とんでもない不幸な出来事”が起こり、その絶望の最中「好きなだけ食べていいよ!」と最高級のディナーを目の前に出されて、あなたは喜べるでしょうか?

恐らく「今はいい、、、」という気持ちに鳴るのではないでしょうか?

 

つまり、手に入れたい物や状況というものは、それ自体が直接的にあなたを幸せにしてくれるわけではなく、あくまでもきっかけに過ぎないということです。

 

「人のために生きる」は究極の自己満である

一般的に、「自分の満足ばかり追求して生きている人」よりも「自分のことは置いといて、人のために尽くしている人」の方が素晴らしいと考えられています。

 

しかし実際には、両者ともただただ自己満足追求して生きているだけです。

 

なぜなら、どんなに「わたしは自分のことはどうでもいいんです!人のために尽くしています!」と言ったところで、その人は「人を助けた時に感じられる感覚」を求めて生きているだけだからです。

 

人を助けることが本気で苦痛なら、そんな生き方を自ら進んですることは絶対にありません。かならず、その生き方をする中で、自分なりの満足感を得ているはずです。

これをしっかり理解しておかないと、「人を助けている自分はえらい」などというとんでもない勘違いをすることになり、それを出来ていない人はダメな人間だと、他者を見下すようにさえなっていきます。

 

何に満足感を感じるかは人それぞれ違う

超絶インドア派の人間からすれば、真冬の寒空の下マラソンを楽しんでいる人の気持ちはイマイチ理解できません。

 

暴力が嫌いな人からすれば、格闘技に命を懸けて戦っている人の気持ちを想像することは難しいでしょう。

 

人間がどんなことに「満足感」を感じるのかは、遺伝的なものによって、そして育ってきた環境によって全く違います。

 

そして、ちょっと怖いのが、人間にはその人が持つ「純粋な自己満」を抑え込み、「別の自己満」を”洗脳”というカタチで植え付けてしまうこともできる、というところです。

 

2つの自己満足

冒頭で、自己満には「先天的自己満足」と「後天的自己満足」の2種類がある、ということをお伝えしました。

 

「先天的自己満足」というのは、生まれながらに持っているとしか思えない、「説明のつかない欲求」を満たすことです。みなさんも過去に一度は「なんか知んないけどこれをしていると楽しいんだよな」というような感覚を味わったことがあるかと思います。

 

この場合、その行為自体を楽しむことができているので、それに素直に従った生き方をすることができれば、無条件に満足感の高い人生を送ることができます。

 

一方、「後天的自己満足」というのはそれとは全く違い、あとから教育などの”洗脳”によって身につけた「ルールや常識」を”守っていること”、そして”虚栄心を満たすこと”に満足感を見出すような生き方のことを指します。

 

人間は洗脳されて生きている

「洗脳」というと、なんだか怪しげな響きがありますが、人間とは物心付いた時から、既に洗脳された状態で生きています。

 

何によって洗脳されているかと言えば、それは家庭だったり学校だったり宗教だったりするのですが、そこでびっちりと教え込まれたものが、その後の人生の行動の指針となり、それに従って人は生きるようになります。

 

例えば、スーパーに行くと、まだ小さい子どもが奇声を上げてはしゃいでいたりしますが、普通に教育を受けてまっとうに育った大人が、彼らと同じことをすることはまずできません。もしやろうとすれば脳内で強烈にブレーキがかかってしまうでしょう。

 

本当はやろうと思ったら簡単に出来ることのはずなのになぜか絶対にできない。それが洗脳の力です。

 

それは生まれた時点では無かったものです。ですから、あなたも立派に「常識」という名の洗脳の下で生きているということになるのです。

 

後天的なものとは言え、この洗脳の力は強力です。人間はその力によって「国のため」「信仰のため」と言って殺人さえも犯すことができてしまいます。

先天的自己満と後天的自己満の違い

さて、再び自己満に話を戻します。

 

「先天的自己満足」で生きることは理想であり、それが叶えば非常に充実した後悔の無い人生を送ることができますが、実際にはほとんどの人間が「後天的自己満足」のために生きています。

 

人間が洗脳の生き物だというお話をさせていただきましたが、その洗脳によって後から植え付けられた「ルールや常識」「理想」そして「羞恥心」といった様々な条件の中で、自分の心を満たしていくれるものを求めて生きてるということです。

 

例えば、純粋に「弁護士」という仕事の内容自体が好きでやっているのであれば、それは「先天的自己満足」であり、弁護士という仕事によって他人から尊敬されること、金銭的に満たされることを目的としている場合は「後天的自己満足」だと言えます。

 

「先天的自己満足」というのは、他人からどう思われるとか、それによってどんな恩恵があるのか、といったことは一切関係なくその行為自体が自分が満たしてくれている状態です。

 

つまり「お金が沢山稼げるから」とか「人から尊敬されるから」とか「異性にモテるから」とか、そういった二次的なものは一切関係なく満足感を得ることができる、ということです。

 

これは住む場所を選ぶ時にも現れます。世の中には「自分が本当に心地よいと本能的に感じる場所」を選ぶ人もいれば、「社会的なステータスが得られる場所」を選ぶ人もいます。

 

純粋な自己満を恐れ、自分に嘘をついて生きれば不幸になる

人によって生き方はそれぞれであり、幸せに生きている人もいればそうでない人もいます。

 

しかしそれでも、すべての人間が自己満足のために生きているわけなのですが、「先天的自己満足」(本能レベルでプログラムされた自己を満足させる)で生きる人というのは、一切の誤魔化しがないので、心の底から満足感を持って生きることができるという特徴があります。

 

反対に、「後天的自己満足」で生きている人の場合、ある一定のレベルまでは「満足して生きているように錯覚すること」はできますが、必ずどこかのタイミングで「何かが違う、、」と気付くことになります。

 

心のどこかに「あらゆるものを手に入れたにも関わらず、何かが違う」という、どこか満たされない感覚が残ってしまうのです。

 

「一流企業に努めて一生安泰」みたいな人が急に脱サラして起業したり、いきなり旅に出てしまったりすることがありますが、そのような人達は途中で何かに気付き行動を起こしているのです。

 

もちろん、薄々気付いていても結局行動せずに一生を終える人が大半なわけですが、その場合、人生の最後には決して「文句なしに最高の人生だった!!」「色々大変なこともあったけどやるべきことはすべてやった!」とはとても言い切ることはできません。

 

私は、前職で何千人もの団塊の世代の方々とお話する機会があったのですが、「この人は本当に自分の人生を生ききってきたんだな」と感じられる人を見つけることはほとんどできませんでした。

悲しいことですが、ほとんどの方から受けたのは「成り行きで生きているだけ」という印象のみだったのです。

真の自己満「先天的自己満」の見つけ方

さて、ここからは後悔のない人生を送るために必要な「先天的自己満足」をどのように見つければいいのか、というお話をしたいと思います。

 

ここまでお読みいただいた方はすでにお分かりかと思いますが、「先天的自己満足」というものは無条件に満足感が得られる、という特徴があります。

 

無条件というのは、「人から認められる」とか「何かが手に入る」とか「常識的である」といった条件が必要ないということです。

とにかく、シンプルにそれ自体が好き。なんだかわかんないけど楽しい。そういったものこそ、あなたに本物の自己満足をもたらします。

 

「人を助ける」という行為一つとってみても、「先天的自己満足」と「後天的自己満足」では目的が全く違います

人を助けることが純粋に好きで、満足感を感じているのか、それとも「人を助けている姿を見せて評価されること」が目的なのか。

 

自分にとっての「先天的自己満足」を見つけるためには、まず、自分をごまかさずに「今自分は何を満たすために生きているのか」をしっかり考え抜き把握する必要があるでしょう。

 

自己満を追求していけば、人の役にも立てる

人は究極的に言えば「自分自身のためにしか生きられない」と私は考えていますが、実は本当の意味で自分自身をしっかり満たしてあげられた人はその後無意識に「人の役に立つ人間」「人を助けられる人間」になっていく傾向があります。

 

自己満足が高い人は満たされている=人にもやさしくできる

あなたは「心底自分の人生に満足している人」と、「自分を誤魔化して虚栄心を満たすために生きている人」は、どっちが豊かな心を持っていると思いますか?

 

これは考えるまでも無いことです。人間というのは、本当に満たされている状態にいる時は、自然と人にやさしくできますし、無意識で人助けをすることができます。

 

なぜなら、自分自身が既に満たされている人の心には、十分な余裕があるからです。

いつもいつもカリカリしている人。他人の悪口ばかり言っている人。他人に冷たい人、、 あなたのまわりにもそんな人がいると思います。

 

そういった人達は、表面的にどんなに満たされているように見えたとしても、自分の人生に本当の意味での満足感を得ることができておらず、常に何か自分を満たしてくれるものを探し続けている「余裕のない状態」なのです。

スポンサーリンク

まとめ|今日から本当の自己満足を始めよう

本記事ではより良い人生を歩むための生き方について、「先天的自己満」「後天的自己満」という2つの造語を使って説明させていただきました。

 

もし、心のどこかで「なにかが違うとか「もっと他に生き方があるんじゃないか」と感じている方は、一度立ち止まって、自分自身としっかり向き合ってみることをおすすめします。

 

人間は知らず知らずのうちに、自分の現状を正当化し、自分自身を誤魔化して生きる習性があります。しかし、その誤魔化しのしわ寄せはいつか必ずあなたに襲いかかります。

 

人生の最後で「わたしの人生は一体なんだったんだろう?」となってしまわないように、ぜひ、あなたにとっての「先天的自己満足」を探し出してみてください。

 

 

ヌンヌン
最後までお読みいただきましてありがとうございました^_^
あわせて読みたい
人生の選択
人生の選択に間違いは無い|人間は楽な方しか選べない

続きを見る

 

 

スポンサーリンク



-LIFE, マインド