「今の時代つまらなくなったなー」
特に、昭和生まれの人間のそういった声をよく耳にします。
この記事は、「今が昔に比べてつまらないと感じるのはなぜか?」をテーマにお送りしたいと思います。
さすがに、ここまで「思いつき丸出しの記事」は書いたことがありませんが、書く中で答えが見えてくるはず!と信じて、ちょっと手を動かしてみます(笑)
実際に私も昭和生まれで、確かにそう感じることが過去に何度かあったのですが、その感覚はあまりに漠然としており「これはちょっと一回ちゃんと考えてみないといかんな」と思い立った次第です。

本記事の内容
- 1 「今の時代はつまらない」と感じる理由
- 2 今と昔のちがい
- 3 今の時代がつまらないと感じるのは「すべてが満たされてしまったら」
- 4 人間の感情はコインのオモテとウラ
- 5 すべてが整っている国、日本
- 6 サウナから出た時の開放感
- 7 人間は不足を感じていないと喜びも感じられない
- 8 無いからこそ感じるありがたみと感動
- 9 社会にゆるさ、いい加減さがある方がおもしろい
- 10 現代にはハラハラドキドキがない
- 11 人間は不完全さやいい加減さの中で解放される
- 12 情報が溢れすぎていて「隠された秘密」がなくなってしまった
- 13 知りたいけど知ることができない状態こそ楽しい
- 14 まとめ|これからの未来にどう生きるか
- 15 あとがき
「今の時代はつまらない」と感じる理由
なぜ昭和生まれの人間にとって、今の時代が「つまらない」と感じるのか。
その理由を知るためには、「今と昔の違い」について考えてみる必要があります。
ここ数十年の間で、世界は様々な面において急激に変わってきました。ここでは私なりに少し具体的に整理してみたいと思います。
今と昔のちがい
では早速ですが、思いつく限り『今』と『昔』の違いをざっと挙げてみたいと思います。
今と昔の違い
- 通信技術を中心に、テクノロジーが恐ろしく発達し便利になった
- 一年365日あらゆるサービスが利用できるようになった
- 細かい法律が出来て、人の行動がより厳しく制限されるようになってきた
- 「いい加減な言動」がますます許されなくなってきた
- 非常に衛生的になり、どこもかしこも整っていてキレイになった
- 情報がダイレクトに伝わるようになり「隠された秘密」が無くなってきた
- メディアが作り出す「嘘」「演出」がバレバレになってしまった(どうせヤラセだろ、という冷めた視点)
他にも色々あるかとは思いますが、ポイントは大きく分けて以下の3つになります。
- 物質的にも環境的に、そして情報の面でもかなり満たされてきた
- 人々の言動の自由が制限されてきた(道徳面でもマナーの面でも)
今の時代がつまらないと感じるのは「すべてが満たされてしまったら」
現代人は昔に比べてかなり満たされている、、、これは精神的な話でなく、物質的な意味での話です。
例えば、、、
昔であれば、一台の電話を家族で共有していたのが、今では一人一台、携帯電話を持っています。
昔は、海外の友人や家族と連絡を取ろうと思ったら、手紙、そして高額な通話料が必要な国際電話を使うしかなかったのが、今は無料でお互いの顔をみながら何時間でも話すことができます。
24時間営業のコンビニやスーパーがいたるところにあって、いつでも好きなタイミングで食品や生活用品を手に入れることができます。
どう考えても、すべてにおいて超絶に便利に、快適になっているはずなのに、「つまらない」というはどういうことなのか?
これが人間のややこしいところです。
人間の感情はコインのオモテとウラ
コインというものは、オモテとウラで成り立っています。オモテだけ、ウラだけで存在することは出来ません。
人間の感覚というものもそれと同じです。
暑いがあるから寒いがある、不快があるから快適がある、醜いがあるから美しいがある、、、ということです。ずっと暑い世の中っだったら、暑いという概念自体が存在しない、みたい感じです。
人間の感覚というものは「ギャップ」によって刺激されます。つまり、すべてが相対的なものであるということです。
ずーっと同じモノを感じていると、人は麻痺を起こします。言い方を変えれば「慣れ」というやつです。それを当たり前だと感じるようになるのです。
そうなると、そこには当然「刺激」というものがありません。ですから、あらゆるものが整えば整うほど、人間は刺激を感じなくなり、「つまらない」という感覚に陥るのです。
それが、現代社会がつまらない、と感じる根本原因です。
すべてが整っている国、日本
日本という国は、世界の中でも特に物質面において恵まれた国です。昔は極端に汚い公衆便所があちこちにあったものですが、今ではどこでもある一定水準の以上の衛生が約束されています。
格安のアパートも、漫画喫茶も、一昔前と違って、すべてが小綺麗になっていますよね。
そうなると、先に述べた理屈の通り、その画一的な環境よって「刺激」というものがなくなってくるので、あらゆるものにありがたみを感じることできなくなってしまうのです。
サウナから出た時の開放感
ホテルなどの大浴場にはよくサウナがありますが、「サウナに入る前に感じていた感覚」と「中でギリギリまで我慢して外に出た時の感覚」は、天と地ほどの違いがあると思います。
その温度差=「ギャップ」が、我々にサウナから出た時の「あーーーーー。。」という開放感をもたらすのです。
これは、どんなことにでも当てはまります。
空腹を我慢すればするほど、おにぎり一個のうまさは増大していきます。炎天下の中、クタクタになるまで働いたあとに飲むビールは格別です。
つまり、なんでもすぐに手に入る状況というのは、わたしたちから「感動を奪う状況」とも言えるのです。
人間は不足を感じていないと喜びも感じられない
人は満たされれば満たされるほど、「新鮮な喜び」を失っていきます。不足しているものが少なくなればなるほど、幸福を感じにくくなるのです。
無いからこそ感じるありがたみと感動
よく言われることですが、日本は世界で有数の豊かな国であるにも関わらず「国民の幸福度が低い国」なのだそうです。(日本は世界で56位)
そこにはさまざまな理由が絡み合っているとは思いますが、その大きな原因の一つが、あらゆる面で「不足がない」ということなのだと思います。
TVなどで海外の少数民族を取り上げた番組を時々目にしますが、それを見ていていつも思うのが、「大人も子供みたいな笑い方をするな、、」ということです。
彼らの生活は、我々の生活と比較にならないほど「不便」ですが、心の状態は、われわれよりもずっと良好なのかもしれません。
社会にゆるさ、いい加減さがある方がおもしろい
環境が整い、物質面で満たされたということ以外にも、昔と今とではかなり変わってきた部分があります。
YouTubeなどで昔のTV番組を見ていると、出演者達が、今だったら考えられないような言動を取っていたりします。非常にきわどい発言をしていたり、平気でカメラの前でタバコを吸っていたり。
そういった動画のコメント欄を見てみると、「この時代はおもしろかった」という内容のコメントが多数見受けられます。
現代にはハラハラドキドキがない
人間というものは面白いもので、「怖さ」を「面白い」と感じることがあります。ホラー映画なんかも、かなり過激なものが人気だったりしますよね。
現代の日本を見ていると、わたしの少年時代と比べて、街の治安が非常に良くなった気がするのですが、もしかしたら、それも「今がつまらなくなった」原因の一つなのかもしれません。
「感動」という言葉がありますが、文字通り解釈するなら「感情が動く」という意味ですよね。
ですから、「不完全さのない安全な現代の日本」に感動が少ないのは、ある意味では当然のことなのです。
人間は不完全さやいい加減さの中で解放される
わたしは昔、日本という国が非常に嫌いでした。これは小学校の頃から感じていたことかもしれませんが、なんだか非常に窮屈な感じがしたのです。
そんな生き辛さを感じていたわたしが、20代で海外に出てまず感じたことが、「なんてみんないい加減なんだw」ということです。
- 平気でお客さんの前でメシを食う携帯ショップ店員
- 上から目線のレジのおばちゃん
- わたしは知らないから、と責任を放棄するサービス担当者
- 待ち合わせの約束の時間にまだ家にいる友人
- 時刻表に書いてある時間よりも先に出発するバスの運転手、、、、
日本人の常識からすれば、「ありえない」レベルのゆるさです(笑)
最初わたしはそれに非常に驚き、同時にイライラしていたのですが、やがて「いちいち怒っていたら身が持たん、、 郷に入っては郷に従えだ、、」と思い直し、ついにはなんと慣れることができました。
そして、不思議なことに、いつのまにかその環境が非常に心地よく感じるようになったのです。
みんながいい加減であれば、わざわざ自分他人の目を気にする必要がなくなります。これは非常に気楽な環境だと言えます。
※ちなみに、ハーバード大学が75年間に渡って行った「人間の幸福度」についての長期的な研究「ハーバードメン研究」によりますと、幸福度に大きな影響を与える要素の一つとして「寛容さ」があるとのこと。つまり、他人への不完全さも許容し、暖かな人間関係を築くことができるどうかが重要だということです。
情報が溢れすぎていて「隠された秘密」がなくなってしまった
現代社会は昔に比べて、とにかく情報が早いと言えます。昔であれば、TVかラジオか新聞か、、 といった感じ経ったのに対し、今はインターネットの力によって即座に最新の情報が手に入ります。
知りたいけど知ることができない状態こそ楽しい
今や著名人が個人的にTwitterなどを通して、リアルタイムで情報を発信しています。それも、ファンがコメントなどを通じてダイレクトにメッセージを届けたり、直接コミュニケーションが取れるようにさえなっています。
以前ではそんなことは考えられませんでした。
芸能人やアーティストというものは、物凄く遠い存在で、プライベートに関するほぼすべての事が謎に包まれていたものです。
その「秘密になっている」という状態こそが、我々の興味を掻き立て、興奮を提供していたのです。
なんでもかんでも簡単にわかってしまうということは、実は、喜びや興奮を半減させることにも繋がってしまうと言えるでしょう。
まとめ|これからの未来にどう生きるか
今回は、昔を知る人間にとって今の時代がつまらないと感じるのはなぜなのか、その根本原因を考察してみました。
時代の移り変わりを止めることは出来ません。これから世界はますます便利に、そしてどんどん小綺麗に整っていくはずです。
そうなった時に、われわれはどのようにして「人間らしい幸福」を感じながら生きていけばいいのか?
それは、各々が考えていかなくてはいけないことです。
ここ数年間の間で「断捨離」という言葉をよく聞くようになりました。
恐らく多くの人が、余計なものを捨て去れば捨て去るほど、人の幸福度は高まっていくということを無意識に感じているのかもしれませんね。
一応、今回の内容まとめますと、、
- 生活は便利になり過ぎない方がいい
- 欲しい物は簡単に手に入らない方がいい
- 多少の不便さや日常の我慢があった方がいい
- 真実は知り過ぎない方がいい
- あこがれは近過ぎない方がいい
以上です。
あとがき
しかし、そう言っても、実際問題、この社会の流れを止めることはほぼ不可能です。世の中は人々の需要に合わせてさらに便利になっていくことでしょう。
そもそも、いつまでも昔の感覚を引きずっているから今に違和感を感じるだけのことで、「今には今の楽しみ方がきっとあるはず」と、前向きに考えることも必要だ、と私は最近になって思うようになりました。
正直、まだその答えは完全には見つかってはいませんが、一つおぼろげながら見えてきたのが
テクノロジーを存分に活用し、「自分」というものを世界に発信することを存分に楽しむ生き方
です。
これは以前では、絶対に不可能だったことですし、これこそがこれからの人間の新しい生き方なのではないか。
このブログは、私にとってのその第一歩です。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。