
ちゃんとした結果も出しつつ、もう少し楽に生きられればばいいんだけどな。
そんな方のための記事です。
本記事のポイント
- 完璧主義は悪いことではない
- 完璧主義が苦しいのは「今」それを求めるから
- 完璧を求めるほど不完全になる
- 不完全を平気でさらけ出し最速で完璧に近付く
- 完璧への”プロセス”こそ最も楽しい時間である
※この記事を書いているわたしは、過去、自分自身の完璧主義に苦しみ、人生を楽しめませんでした。
しかし、今では、完璧主義の良い部分を残しつつも、失敗を恐れず気楽に生きることが出来るようになりました。
その経験からお話します。
無理に完璧主義を捨てる必要はありません。少し視点を変えれば良いだけです。
それではまいりましょう^_^
本記事の内容
完璧を求めるのではなく、完璧に”近付くこと”を求めよ
完璧主義は疲れます。ついつい完璧を求めてやり込んでしまう。不完全なものを見せたくない。
そして、完璧主義は嫌われます。普通の人にとっては、完璧主義者が近くにいるとなんだか非難されているようで居心地が悪いからです。
しかし、より良い仕事をしたり、より良い作品を作ったりしていくためには、完璧を求める気持ちは大切です。
完璧主義は悪いことではない
完璧主義という言葉自体、あまり良い響きではありません。
しかし、完璧を求める心なくして、進化はありえません。テキトーなもので満足していたら、もうそこでおしまいなのですから。
ただ、問題なのは、完璧主義は下手をすると自分も他人も苦しめることになるということ。
問題はバランスです。完璧なものを求め進化しつつ、その過程を楽しんでいく。そこを目指していくのです。
人生を楽しむために、完璧を求める”時間軸”を変える
気楽に楽しく生きながら、完璧を求め進化し続けるためには、視点を大きく変える必要があります。完璧主義が苦しいのは、無茶なことをやろうとしているからです。
無茶なことというのは、「今」完璧になろうとすることです。
結論から言えば、完璧というのは幻想のようなものです。いくら完璧を目指しても完璧になどなれはしないのです。
にもかかわらず、それを求めるから苦しいわけです。
ですから、ここで発想を変えましょう。「今」完璧になろうとすることを諦め、「将来」完璧になるために「今どうしたらベストなのか」を考えるのです。
そうすれば、「今」はどれだけ失敗してもいいし、不完全でもいい、ということになります。
完璧な状態を想像し、その状態に一ミリでも近づければOKとするのです。
完璧を捨てると、より完璧に近付く
完璧主義を捨てることは、最初はかなり抵抗があると思います。しかし、そこを乗り越えることであなたは大きく成長します。
なぜなら、「今」完璧になろうとすることをやめることによって、結果的にあなたのパフォーマンスが大幅にアップするからです。
人間の能力が最大限発揮されるのは、何も求めず、リラックスした時です。
完璧を常に求めていては、とてもそうはいきません。
完璧を求めるとパフォーマンスが低下する
今すぐ完璧なことをしようとすれば、当然、緊張状態になります。
このような緊張状態は、体のパフォーマンスだけでなく、脳のパフォーマンスも同時に低下させるのです。
斬新なアイデアや問題の解決策が、気を抜いてリラックスした瞬間にもたらされた、という経験はありませんか?
いくら頭を捻っても出なかった答えが、それを一旦諦めて、横になったり、眠ったりしたら、いきなり空から降ってくる、そんな感覚。
完璧主義者は、そのような人間らしい”ひらめき”を自ら封じ込めてしまっているのです。
完璧に近付く最短距離は「不完全さ」をさらけ出すこと
あなたがもし今なにかを制作しているとして、たとえそれが現状まだ不完全なものだったとしても、さっさと世の中に出して人に見せてしまった方が、圧倒的に早く完璧に近付けるでしょう。
なぜなら、それによって自分の視点を遥かに超えた複数の目によって、あなたの作品が多角的に評価されるからです。
あなたの思う完璧は完璧ではない
完璧主義というのは究極の自己満足です。
自分にとって納得がいかないから、まだ人前には出せない。そのような気持ちは痛いほどわかります。
しかし、あなたにとっての完璧というのは、実際には全く完璧ではなく、ただの独りよがりであることがほとんどです。
世界は広いです。上には上がいます。
ですから、あなたの判断基準においての完璧というのは、実は非常に低レベルである可能性もあるのです。
もし、あなたが本気で「素晴らしいものを作りたい」、「素晴らしいスキルを身につけたい」と願っているのなら、さっさと世の中に出し、人前に晒すべきなのです。
最速で不完全なもの公表しフィードバックを得る
完璧主義者の悪いところは、すべて判断が独りよがりだということです。言い換えるんら、判断の基準となる視点が一つしかないということです。
逆に、とりあえず不完全でもなんでも良いから、一旦世の中に出してしまえば、その瞬間何万という視点で自分の作品なりを判断してもらえます。
もちろん酷評を受けることもあるでしょうが、それこそ最も価値のあるものです。
自分一人の視点では絶対に気付け無いような改善点が見つかれば、あなたはそれだけ早く進化できるわけですから。
あなたの目的はなんでしょうか?
よりすばらしいものを生み出すことですか?
それとも、ただ傷つくことを恐れ、独りよがりの完璧を目指すことでしょうか?
実際には、完璧主義だからというのはただの口実で、ただ恥をかきたくない、批判されたくないだけではないですか?
本当に成長していきたいのなら、今の自分の不完全さを受け入れ、「今」完璧になろうとすることを諦め、その上で、一歩ずつ進歩していくために「今できる最善策」を講じるべきなのです。
まとめ|本当の幸せは完璧をめざすプロセスの中にある
「今」完璧になることを諦めつつも、「いつの日か」完璧になることを求め一歩ずつ前進していく。
恐らく、その道にゴールはありません。
しかし、なるべく早く気付かなくてはならないのが、人間というのは「何かを達成した時」に幸せになるのではなく、「その達成へのプロセスの中」で幸せになれるものだということです。
私自身、そのような経験が何度もあります。
思い返してみれば、一番充実してたのは「夢を思い描き、計画を練り、一歩ずつ前進していく」その時でした。
達成してしまった時の虚しさというのは、なんとも言えないものがあります。
そして、何かを達成したり、手に入れたりするから幸せなれるわけではない、と気付いた時、人生の見え方が変わりました。
それ以降、どんなに地味であっても、「日々成長を目指し一歩ずつ歩んでいくその過程」が一番の楽しみになったのです。正直「目標を達成すること」なんてものはおまけみたいなものだと思っています。
完璧主義というはある意味では才能です。人が気付かないような、微細なことに気付けるわけですから。
ですので、その与えられた才能を活かしつつ、気楽に楽しみながら「未来の完璧」を目指していけばいいのではないかと思います。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。